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目覚めよ、竪琴よ──コンサートに寄せて

2011.04.05.22:49

(これは2008年10月26日、京都聖三一教会でのライアーコンサート当日に礼拝で語ったものです。)

「わたしは心を確かにします。
神よ、わたしは心を確かにして
あなたに賛美の歌をうたいます。
目覚めよ、わたしの誉れよ
目覚めよ、竪琴よ、琴よ。
わたしは曙(あけぼの)を呼び覚まそう。」詩編57:9

 今日は午後、教会主催で、小野純子さんによるライアー・コンサートをしますので、それに関連して聖書に出てくる竪琴のお話をします。ライアーは20世紀に生まれた竪琴です。

 聖書に最初に出て来る楽器は何か、というと、これが竪琴なのです。

「その弟はユバルといい、竪琴や笛を奏でる者すべての先祖となった。」創世記4:21

 (父はレメク、母はアダ、兄はヤバルと言います。)

 竪琴と笛は聖書に出て来る最初の楽器です。
 竪琴、笛に始まる聖書の中の楽器は、もう少し広げて言うと音楽は何のために用いられたかというと、それは祈るため、礼拝するためでした。神を賛美するため、祈るために音楽はどうしても必要な、大切なものなのです。第一に大切なのは心、第二に大切なのは技術です。祈る心があってはじめて音楽は成り立ちます。竪琴は祈りの楽器です。

 イスラエルの最初の王はサウルという人でした。サウル王はしばしば精神状態が悪くなることがありました。その苦しみはとてもひどいもので、「悪霊が彼をさいなんだ」と記されています(サムエル記上16:14)。心配した家臣が竪琴の上手な人を推薦しました。エッサイの子、ダビデです。後にイスラエルの王となる人です。ダビデはサウルの傍らにいて、しばしば竪琴をもってサウルの魂を慰めました。ダビデの奏でる竪琴の響きは、悪霊を追いやりました。

 ダビデがサウルのために奏でた竪琴は普通、慰めの楽器、癒しの響きと理解されます。しかし竪琴はそのような理解の範囲に留まるものではありません。

 聖書の最後、ヨハネの黙示録に竪琴が登場します。ヨハネの黙示録は壮大な幻(ビジョン)を示すものです。この世界がどんなに痛みと罪と悲しみに満ちているとしても、最後は神の救いが完成する。天使と悪魔が戦い、最後は悪の力が滅ぼされて神の愛と正義と平和が実現することを告げています。

「わたしはまた、火が混じったガラスの海のようなものを見た。更に、獣に勝ち、その像に勝ち、またその名の数字に勝った者たちを見た。彼らは神の竪琴を手にして、このガラスの海の岸に立っていた。彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とをうたった。」15:2‐3

 獣と言われるのは悪魔です。竪琴は悪魔と戦う天使の戦いに参加し、真実の神の勝利を歌います。

「『全能者である神、主よ、
あなたの業は偉大で、
驚くべきもの。
諸国の民の王よ、
あなたの道は正しく、また、真実なもの。
主よ、だれがあなたの名を畏れず、
たたえずにおられましょうか。
聖なる方は、あなただけ。
すべての国民が、来て、
  あなたの前にひれ伏すでしょう。
あなたの正しい裁きが、
明らかになったからです。』」15:3‐4

 竪琴は、祈り、神を賛美する。イスラエルの礼拝にとって大切な楽器でした。
 竪琴は、人の魂を慰める。サウルのことをお話ししました。
 竪琴は、悪の力と戦い、神の救いをあらわし実現していく。黙示録に語られています。

 今日、わたしたちの教会が行なおうとするライアー・コンサートが、ささやかではあってもそのような祈りと慰めと神の救いの働きの時となるように、聖霊の祝福を祈りましょう。
(井田 泉 2008/10/26 京都聖三一教会)
プロフィール

olivetrump2

Author:olivetrump2
プリモールは20数年前から小野が主宰する音楽教室から育ってきた音楽を中心として活動してきたささやかな会です。
いつの時代もですが、慰めや安らぎ、力を与えられる音楽や芸術が特に不可欠の今日です。ほんとうにわたしたちが必要としている
命の源とつながる音楽を求め、模索しながら活動してきました。草や木が、空や大地からたっぷり栄養を吸収して育つように、
わたしたちの心と身体もしっかりと栄養を吸収し、謙虚な姿勢で学び合い、深め合い、高め合うことができることを願っています。
どうぞよろしくお願いします。                          小野 純子

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